2026.10.07
前稿(企業価値担保権の概要について)では、本制度の特徴や想定される活用例を述べましたが、本稿では本制度を活用する際の留意点について触れたいと思います。
1.事業性評価に基づく融資判断・期中管理の仕組み
本制度を活用する際の留意点を見ていく前に、金融機関から見た本制度に関する融資実務を概観します。企業価値担保権を前提とした融資では、金融機関は従来以上に「事業性評価」に基づく審査・管理を行います。
(1)融資判断のプロセス
金融機関は概ね次のステップで事業評価を行います。
①事業分析 まず、企業が置かれている市場環境、機会・脅威、企業固有の強み・弱み、組織のケイパビリティなどを分析し、事業の価値を生み出す要因を把握します。
②財務モデルへの反映 次に、事業分析の結果を財務数値に反映し、戦略投資の効果や収益見通しを定量化します。将来のKPIや財務数値をシミュレーションするため、貸借対照表・損益計算書・キャッシュフロー計算書が連動した財務モデルを組み立てます。
③企業価値評価(必要に応じて) 将来キャッシュフローや事業リスクを踏まえた企業価値評価が実施されることもあります。
④融資判断 最終的に、事業の継続性・返済可能性・返済期間を踏まえて融資の可否を判断し、必要に応じてKPI等をコベナンツとして設定します。
(2)期中管理(モニタリング)
融資実行後も、金融機関は事業計画の進捗や財務状況を継続的にモニタリングします。これは単なる監視ではなく、事業改善や計画修正のための対話を行うことを目的としたものです。企業価値担保権の利用では、金融機関との情報共有や経営改善の協働が制度の前提となる点が重要です。
2.事業者として特に留意すべきポイント
以上の活用例と融資プロセスを踏まえると、事業者としては次の点を十分に理解しておく必要があります。
(1)事業計画の説得力が資金調達を左右する
企業価値担保権では、将来の事業価値が融資判断に影響します。そのため、
①成長戦略②投資計画③収益モデル④キャッシュフロー見通し
などを合理的に説明できる体制が不可欠です。事業計画の精度が融資条件に直接影響します。
(2)情報開示・モニタリング負担の増加
金融機関による継続的なモニタリングが前提となるため、
①経営状況の定期報告②KPIの進捗管理③財務データの開示
などの負担が増加します。内部管理体制の整備が重要となります。
(3)経営の自由度への影響
担保設定後は、通常の事業の範囲を超える資産処分等について金融機関の同意が必要となる場合があります。経営判断の柔軟性に一定の制約が生じ得る点を理解しておく必要があります。
(4)金融機関との関係性が経営に影響する
企業価値担保権は、金融機関との長期的・継続的な関係構築を前提とした制度です。したがって、
①メインバンクとの関係管理②事業方針の共有③伴走支援の受入れ体制
が経営上の重要な要素となります。
(5)制度は万能ではなく「選択肢の一つ」
企業価値担保権はすべての企業に適するわけではなく、特に次のような企業に適合しやすい制度です。
①成長投資を予定している企業②承継・再生の転換期にある企業③無形資産や将来価値を強みとする企業
自社の財務構造や経営戦略との適合性を慎重に検討する必要があります。
3.まとめ
企業価値担保権は、従来の不動産担保や経営者保証に依存した融資慣行から脱却し、事業の将来性を基礎とした資金供給を促進する新たな制度として期待されています。他方で、その適切な運用には、制度設計だけでなく、金融機関・事業者双方の実務運用の成熟が不可欠であり、制度活用に向けたいくつかの重要な視点が指摘されています。
まず、制度活用にあたっては、企業価値担保権を単なる担保取得手段としてではなく、「事業者と金融機関の継続的な対話・関係構築を前提とする仕組み」として運用することが基本とされています。金融機関は、事業の実態や将来性を的確に理解し、事業者と長期的な関係を構築しながら支援を行うことが期待されており、制度の趣旨は回収強化ではなく、成長支援・事業再生支援にあると整理されています。 もっとも、担保対象が事業者の「総財産」に及ぶ制度であることから、金融機関が優越的な地位を背景として過度な担保設定や過剰な制約を課すことがないよう、適切な運用が求められます。
また、制度の円滑な活用のためには、事業者に対する説明の充実も不可欠です。企業価値担保権は、担保の範囲、担保権実行時の影響、経営への制約など、従来の担保制度とは異なる特徴を有するため、金融機関や担保権者は制度内容やリスクについて十分な説明を行うことが求められます。事業者側においても、担保設定の効果や制約を理解した上で契約締結の判断を行うことが重要となります。
さらに、制度の実効性を高めるためには、融資実務の整備・高度化が必要とされています。具体的には、事業性評価の高度化、担保価値の評価手法の確立、モニタリング体制の整備、実行手続の実務運用の明確化など、制度を支える実務基盤の構築が今後の課題として指摘されています。制度の運用実績が蓄積されることで、担保価値評価や融資判断の標準化が進み、より広範な事業者への活用が可能になると考えられます。
以上を踏まえると、企業価値担保権は、事業者にとって資金調達の新たな選択肢を提供する一方で、金融機関との関係性や経営の自由度に影響を及ぼし得る制度でもあります。したがって事業者としては、制度の趣旨とリスクを十分理解した上で、担保範囲、契約条件、将来の事業戦略への影響等を慎重に検討し、必要に応じて専門家の助言を得ながら導入判断を行うことが望まれます。
企業価値担保権が今後、事業成長・事業承継・事業再生を支える実務インフラとして定着するか否かは、制度そのものの設計のみならず、金融機関・事業者双方による適切な理解と運用にかかっています。本制度の本質が「担保による管理」ではなく「事業価値を基礎とした協働関係の構築」にある点を踏まえ、事業者としても主体的に制度活用の可能性を検討する姿勢が求められるといえるでしょう。
弁護士:塩路 涼